【アダルトグッズヒストリー】日本の万葉時代に流行った貞操帯

日本の万葉時代に流行った貞操帯の、なんとソフトなことよ。

貞操帯といえば、中世の十字軍のころに考案された、要は鍵のかかる金属製の女性用フンドシ。裏側にはビロード張ってあったりして、多少の気遣いはみせているが、オシッコは細長い切れ目から、大便は肛門の部分に開けられた丸い穴から排泄しなければならなかった。こんなハードな貞操帯に対して、日本の万葉時代にはやった貞操帯って、なんとソフトなことよ。そうそう、日本にも貞操帯はちゃんと存在したんですよ。
要は、紐1本を腰に巻きつけるだけ。ただし、局部はこの紐で、複雑なカタチをつくります。このカタチはそれぞれの家によって違った。たとえば、辺地の防衛のために防人として徴用されたとしよう。妻はダンナに、妻の家に伝わる方法で、ダンナに貞操帯を結ぶ。ダンナは、このほどきかたを知らない。立派な貞操帯となるわけです。
一方、ダンナは妻に、ダンナの家に伝わる結び方で、妻にはほどけなくする。紐は高麗から輸入した高価なものを使ったようだ。で、「高麗錦」は貞操帯の枕詞ともなって、万葉集にはたくさんの貞操帯の歌が残っている。

たしか『日本書紀』だったとおもうが、そこにも、この貞操帯の話が登場する。垂仁天皇の后の兄が反乱を起す。后は天皇に背いて兄の陣営にくわわる。が、垂仁天皇は后がどうしても忘れられない。おまけにおなかの中には、垂仁天皇の子供がいたから、陣地を包囲するだけで攻めようともしない。そのうちに子供が生まれてしまう。后をあきらめきれない垂仁天皇は歌を詠む。
あなたが結び固めた私の美しい下紐は、だれに解かせればいいのだろう…つまりですね、「もうSEXできねぇよ」って嘆いているわけ。

やがてこの結び方が、祝儀袋の水引や家紋のデザインなどに発展していくそうだ。また、この貞操帯は、アイヌや沖縄でもつい最近まで使われていたとか。

間男はしめ(縄)をはづすと寄つかず
しめなわを見い見いくどく不届きさ

江戸時代になると、もっとゆるやかになります。ダンナは伊勢参りなどで、家を留守にすることがあったようだ。この時は神棚に注連縄を張る。で、亭主は女房に、「浮気をすると抜けなくなるぞ」と脅して出かけたそうな。