history201603

名垂自筆の『阿奈遠佳志』は戊辰戦争の際に消失。写真はその写本である。

現代女性の必需品でティルド(男根形)。
わが国では、いったい、いつの頃から、そして最初に使い始めたのは誰か? 今回は、その謎に迫ってみよう。

江戸三大奇書のひとつに『阿奈遠佳志(あなおかし)』(前後編2巻・会津木がくれのおきな戯著)というのがある。
この万葉仮名風のタイトルをそのまま読み下し、平安古典的に解釈すれば、あなおかし、つまり「すごく趣がある」という意味となるが、もちろんこれは筆者の洒落。「阿奈」は「穴」の当て字で、「遠佳志」は「面白い」という意味と、「(穴)犯し」との両方に取れる。ま、どちらにせよ、下ネタ満載の艶笑本にぴったりのタイトルである。
時世柄、はばかりがあるので「木がくれのおきな」というペンネームが使用されているが、筆者は澤田 名垂(さわだ なたれ・1775生~1845没)。
実は彼、会津藩に仕える優秀な国学者で、『新編会津風土記』の編者としても知られる人物。当時の国学者といえば、頭ガチガチのイメージがあるが、彼の場合は硬軟合わせ持った人だったようである。
さて、この『阿奈遠佳志』の前編の中に、男茎形(おはしがた)のことを綴った章があるので、原文の中から一部を抜粋し、ご紹介してみよう。

をはしがたとて、玉茎のかたちをまねびつくることは、いとかみつ代よりのわざにて、石しても木しても造り、もとは神わざにのみもちひられしを、ならの京になりて、こまくだらなどの手部どもが、呉といういう国よりおほくひさぎいだす水牛というものの角してつくりはじめたるは、さまかたちきはめてうるわしく、わたを湯にひでで、其角のうつほなる所にさしいるれば、あたたかにこえふくみだみて、まことのものとなにばかりのけぢめもなきを、宮仕の女房たちなど、いとめづらしとてめでくつがへり給ふあまりに、男もすといふかはつるみということを、女もしてみんとて、やがて其具にばかり用ひ給ひしなり。
(旧漢字は新漢字に変換)

簡単に意訳してみる。
男根の形を真似て「男茎形(おはしがた)」を造るというのは、神代の昔から行われていた。当時は石や木で造られ、神事にのみ使用されていた。
奈良時代に(朝鮮半島の)高麗や百済などから渡来してきた職人たちが、(中国の)呉の国から手に入れた水牛の角で、姿、形の誠に素晴らしい男茎形を造り始めた。
お湯に浸した綿を、その角製男茎形の胴体に施された空洞に入れると、その熱と水分で温かくなり、やわらかく膨らんで、男根の実物とそっくりになる。
当時の宮中の女官たちが、これは大変珍しいものだと、いじくり回して眺めているうちに、ふと、男性がする自慰を、女性でもやってみようと思い、試したのが始まり。
いつしか男茎形は、神事に使用されることもなくなり、女性の自慰用にのみ、用いられるようになった。

いかがだろうか。ま、当たらずとも遠からずという気はする。
感心したのは、さすがに国学者。冒頭の石で造られた男茎形というのは縄文時代の石棒のことと思われるが、当時の知識階級である医者でも、「雷様の使う太鼓のバチ」だと勘違いし、記録していたくらいなのに、神事に使われていたものだと的を得ていること。
澤田名垂は、前述のように『新編会津風土記』の編纂に携わっていただけでなく、NHK大河ドラマ「八重の桜」にも出てくる会津藩校「日新館」で和学師範をし、「日新館童子訓」を著して藩学の学規を整備。藩主の侍講まで勤め上げていた大学者である。
お気づきの方もあろうが、『土佐日記』(紀貫之)の有名な冒頭「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり」を文中にパロディとして使っているあたり、なかなかのユーモアセンスも兼ね備えていた人物のようだ。